日本からブラジルへの初めての移民船「笠戸丸」が神戸港を出港し、ブラジルのサントス港に入港してから今年で100年を迎えました。
この第1回移民の通訳者の一人に本市天竜地域にゆかりのある平野運平氏がいました。運平氏は、通訳者としてだけでなく、日本人移民のリーダーとして活躍され、日系社会発展の礎を築いた「ブラジル移民の父」と称されています。
1990年の出入国管理及び難民認定法の改正以降、ブラジルを中心とした南米から多くの日系人が職を求め日本に来ることになりました。運平氏とのゆかりの深いここ浜松に日本で最も多くのブラジル人が住むようになったのも歴史を振り返ると運命的なものを感じます。
静岡文化芸術大学の前学長・故 木村尚三郎氏の著書に「ふりかえれば、未来」というタイトルがあります。日本ブラジル交流年である本年、日本とブラジルの移民の歴史を振り返り、日伯間の交流を一層促進するとともに、本市における多文化共生社会の構築に繋げていきたいと存じます。
日伯移民100周年記念事業浜松実行委員会 名誉委員長
浜松市長 鈴木康友
1895年の友好と親善の条約の締結以来日本とブラジルは、姉妹国となりました。また、明治時代の1908年6月、最初の移民船笠戸丸がおよそ800人の日本人を乗せてブラジルへ上陸いたしました。
この百年の間、ブラジルの日系人とその子孫のコミュニティーはおよそ150万人余りとされています。同時に約30万余人の彼らの子孫が出稼ぎとして日本へ移民してきました。「出稼ぎ」として来日したブラジル人の数はそれでもブラジルにいる彼らの親戚の全人口の5分の1に過ぎません。この現象はあたかも子孫が祖先の人々に成り代わって里帰りを果たしているかのように感じられます。結局のところ、家族なのですから。
2008年に日本人ブラジル移民100周年を迎えております。ブラジルの門戸とブラジルの人々の心はいつも兄弟たる日本の人々に開かれてきました。そして、日本の門戸もブラジル人移住者、特にブラジルに移住した日本人の子孫に開かれております。
日本に在住する勇敢にして勤勉なブラジルの同胞たちは32万人を超え、うち70パーセントは、名古屋圏を中心とした中部地方に集中しています。(愛知、静岡、三重、岐阜)
周知の通り、浜松に2万人のブラジル人が在住しており、日本における”ブラジル人の一大中心地”と認められております。磐田市など近隣の都市を合わせるとその数は4万人に達します。浜松市役所が積極的に日伯交流事業の実行委員会を組織し私がその名誉顧問の職に就任致しましたことを誇らしく思います。この取り組みと皆様の努力をたたえ感謝の言葉を送りたいと思います。
日伯移民100周年記念事業浜松実行委員会 名誉顧問
在名古屋ブラジル総領事 ジェラルド アフォンソ ムジ
日伯移民100周年記念事業浜松実行委員会 (事務局:財団法人浜松観光コンベンションビューロー)
〒430−0927 静岡県浜松市中区旭町12−3 フォルテ2階
TEL.053−458−0011 FAX.053−458−0013 E−Mail:info@hamacon.net